「ソコカラ、ナニガ、ミエル?」

急に思い立って『鉄コン筋クリート』を観て来た。

「宝町」というキッチュな街の描かれ方に惹かれて、

それ以上の予備知識のないまま、観に行った。

スゴイ映画だった。

原作も知らなかったし、期待もしてなかっただけに、ビックリした!

気軽に観るつもりだとハード過ぎるけど、☆☆☆デス!!

20070104-console.jpg

テーマは『ゲド戦記』に近いと思った。

ただし、『ゲド』は中途半端なファンタジーだったけど、

『鉄コン筋クリート』には等身大のリアリティがあった。

 「宝町」という舞台の真実味あふれる混沌は、まさに現代日本そのものだし、

 心の底の「光と闇」を描く様は、『ゲド』でのような幼稚な気恥ずかしさはなくて、

 痛いほど真っ直ぐで、魂をえぐられる思いがした。

 

 混沌も純粋もありのままだから、

 きっと誰にとっても身に覚えがありすぎて、

 覚悟しないと直視できないかも知れない。

それにしても、映画というアートの力を思うにつけ、

ひとつの世界観をヴィジュアルに表出することの偉大さに、私は敬服する。

 だからと言って、

 たとえば、闇を描くこともアートの使命だからと、

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のような救いようのない絶望だとか、

 『キル・ビル』のような過剰なバイオレンスは、吐き気がする。

 そんな方向へ魂の地平を広げることは、エンタティメントでもクリエーションでもない!

 と、私は思う。

私もクリエーターの端くれとして、クリエーションの使命ということをよく考える。

 

 クリエーターに限らず、

 「ソコカラ、ナニガ、ミエル?」という問いは、誰にとっても最初の一歩なのだから、

 そこに見えるのが光だろうと闇だろうと、それはそれで構わない。

 けれど、

 クリエーションが放射する力を信じるのなら、

 闇に飲まれる退廃よりも、闇を見つめる勇気にこそフォーカスすべきなのだと思う。

そもそも、この宇宙は闇から生まれたのだから、

光は闇の子、闇は光の母、ってワケだ。

そんな過不足のない宇宙の生々流転を、カオスと取るのか、シンフォニーと取るのか、、

その受け止め方の違いこそが、それぞれの魂のありようなのだろう。

 

 勇気、というのは眼を開く力だと思う。

 

 真っ直ぐに、闇なり混沌なりを見据える力。

 そこから光が放たれ宇宙が始まったのだとすれば、

 勇気こそ、魂の本質なのかも知れない、と思う。

 

 だからこそ、

 「等身大に、光を描く」というスタンスに、私は何よりも共鳴する。

フカヤモトカ について

切ったり結ったり、触ったり語ったり、編んだり書いたりしています。 アトリエミーム/イシス編集学校師範
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